19 10月 人生のダイバーシティ
今日私は2歳のおばあちゃんになりました。アユミちゃんがアオイちゃんを生んでくれたのは、コスモスが咲き乱れ、薄い三日月が浮かぶ静かな夜でした。

私は子どもをかわいいなあと思ったことがない女性でした。妊娠しても我が子に愛情を注げるとは思えず、重大な責任を果たせるかまるで自信がありませんでした。胎動があっても、陣痛が始まっても、私が我が子を愛しいと思う気がしませんでした。25歳。若い母でした。
不思議な体験をしました。無事出産が終わり分娩台に残されたその時、体の奥底から湧き上がるエネルギーに突き動かされたのです。生まれたばかりの子どもがかわいくて愛しくて号泣しました。「幸せホルモン」オキシトシン。子宮を収縮させ母乳を出すホルモンですが、私の心がすっかり入れ替わるくらい、激しい衝動を今でも忘れることができません。
子育てをしながら、受験勉強を敢行しました。日本語教師の資格を取る国家試験。2回目は大学院受験です。大学院ではまさかの博士後期課程に進学。自分の成長への欲深かったので勉強を諦められなかったのです。その間、私にはずっと子育てがありました。もし、私が子育てをしなかったら…。私は人生を勉強や仕事に捧げる女性になっていたでしょう。目標を立て、自分を燃やし尽くすタイプですから、手に入ったはずのものもあったでしょう。
決して愛情深い母だったわけではありません。家族のことを最優先にしながらも、いろんな手抜きをしました。イライラもしていました。それなのに、私には家族がいます。息子夫婦が遠くにいるのでアオイちゃんにはめったに会えませんが、母の代から孫の代まで目を配るうちに、実はたくさんあった家族の面倒も忘れていきました。あんなに家族は重かったのに、今や私の家族は宝物です。
社会のダイバーシティ(多様性)は女性の社会進出ととらえられています。私は社会とは中途半端な関わりあい方をしました。会社員、専業主婦、パート職員、大学院生、教員、そして塾経営者。精神的社会的経済的な自立が欲しくてたまらなかった30代、仕事と子育てと勉強の三足のわらじを擦り切れる一歩手前で脱ぐことができた40代、フルタイムで働くお母ちゃんになった50代。私の人生は結果的に豊かな人生になりました。
女性の人生もダイバーシティがあっても良い。家族とご飯を食べる時間も、仕事の達成感も、転身への挑戦も、色々あった方が絶対いい。それができるのが女性のしなやかさ。
アオイちゃんは2歳。グランマも2歳になりました。